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油と歴史の話
江戸のあかり

“擣押木(しめぎ)”の発明によって,菜種油が荏胡麻油に取って代わり,灯明油の中心を占めるようになるとともに,庶民も灯火の恩恵に浴するようになった。仏事,神事,あるいは宮廷以外の人々の生活にも明るい夜の世界が開けてきたのであり,江戸の豊かな文化を支える重要な基盤ともなったのである。
菜種油の価格はそう安価ではなく,文化年間の価格で見ると,米が1升100文だったのに対して菜種油は400文と高かった。ろうそくは,まだ贅沢品であった。そのため庶民の間では魚油を灯火用に使ったと伝えられており,江戸では外房で採れるイワシの油が使われていた。
江戸を代表する室内の灯火具といえば“行灯(あんどん)”である。中世の灯台は台の上に灯火皿が置かれているだけで,火は裸のままであるのに対して,行灯は火の回りを紙を張った枠で囲み,灯火が消えないように工夫するとともに,照明も間接的で目に優しくなった。反面,照度は極めて弱く,60ワットの電球1個の50分の1程度といわれている。
行灯そのものは江戸以前から存在していたが,江戸時代に急速に普及・発達することとなったもので,さまざまな種類の行灯が登場し,それ以前の手提行灯のほかに,置行灯,掛行灯,釣行灯,辻行灯などが生まれた。形状を見ても,角形には4角,6角,8角といったものがあり,丸形には円筒形,球形,みかん形,なつめ形,円周形(円筒の半分が回転する)といったものがある。さらに角形には4脚のほか,1脚,2脚,3脚のものなどがあった。さらに外蓋を引いて台にする有明行灯(寝室で終夜とぼしつづける特殊の行灯)や,八開行灯,レンズ付の書見行灯など,枚挙にいとまがない。遠州行灯は,円筒形の火袋が回転し明るさの調節ができるしくみになっている。

行灯の中には主として菜種油を入れた油皿が置かれ,菜種油の中には灯芯が浸されており,この灯芯に火をつけて明かりとした。油皿の下には受け皿が置かれ,底に油が回ることを防いだ。灯芯には,古い麻布を細かく裂いて用いた。後には,綿布,綿糸,細蘭なども用いた。
また,灯芯を皿の中央に立てるように工夫した道具が“ひょう燭”と呼ばれたもので,油皿よりも火持ちが良いことなどのため,掛行灯などで使用されたという。1979年に開館した蒲郡市博物館には,岸間芳松氏が寄贈した,「岸間ひょう燭コレクション」が展示されている。ちなみに同館所蔵のひょう燭のうち178点が重要民族文化財として国の指定を受けている。
蝋燭(ろうそく)は仏教伝来とともに輸入され,奈良時代にはすでに用いられており,蜜蝋から作った蜜蝋燭が中心だったようだ。蜜蝋燭は隋や唐からの輸入で賄われていたが,平安後期に唐との交易が途絶えたため輸入も姿を消すこととなった。その代わりとして作られたのが松脂蝋燭である。松脂を捏ねて棒状にして竹皮や笹の菓などで包む。松脂蝋燭は1本で30分から1時間程度使うことができたという。江戸時代には,櫨蝋(はぜろう)から作る木蝋燭が各地で作られるようになり,蝋燭の利用が全国へと普及することとなる。「製油録」の著者で有名な大蔵永常の「農家益」には櫨の木の栽培から製蝋法までが詳しく述べられている。山城,越後,陸奥などが蝋燭の産地として知られ,大都市には蝋燭問屋も現れた。
明治時代に入ってからはパラフィンを原料にした西洋蝋燭が主流になるが,この西洋蝋燭を大きく扱ったのが江戸時代の油問屋の代表的存在であった大孫商店であった。ライジングサン石油(シェル石油の前身)で製造,輸入した物を大孫が販売を行った。これに対して,カク石・藤田金之助商店は,スタンダード石油からパラフィン蝋を買い,蝋燭の生産を行った。蝋を管に溶かして冷やし,芯の穴は針金を通して木綿糸を差し込むというやり方で,また管からいちいち木槌で叩いて打ち出すという原始的ややり方だった。そのうち,化学的に抜く方法や大量生産の方法にめどをつけ,カク石の“藤印電光ローソク”(電気の光よりも明るいという意味)は好調な売行きを示したという。
灯火以外には塗料用,化粧用などにも油が使われていた。塗料用の代表的な油が,桐油である。桐油は,熱を加えると,膠状の物質に変化する性質がある。そのため灯火用には向かない反面,雨傘,合羽,提灯などの塗料として,大変重宝された。原料のアブラギリは,江戸時代以前に中国より渡来し,若狭,丹波,越前,伊勢,駿河,安房などで栽培された。
椿は,『日本書紀』『万葉集』にもその名がみられ,『続日本紀』には,宝亀8年(777年),勃海の使者に,日本特産の椿油一缶を与えたとの記述がある。江戸時代に入ると,髪の油や化粧水として広く使われるようになった。享和3年(1803年)に刊行された『本草網目啓蒙』には,「此油は男女に限らず髪のねばりて櫛の歯に通らざるに少しそそげばよくさばけて櫛けずり易く,又土にそそげばよく虫を殺す」との記述がある。また天ぷら油としても,一部の高級店で使われていた。

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